クリエイティブということ 後編


クリエイティブということ ⑪営業カバン

「医療の安全のため」というディスポーザブル医療器本来の主張よりも、利便性を訴求することで目先の売上げをねらった広告は、社長の叱責を受け、水泡に帰した。

学生時代のことを思い出した。

『何をしたいのかわからない症候群』で、就職が決まらないまま4年生の11月を迎えていた。

文章を書く仕事をイメージしている のだが、新聞社も雑誌社も受けなかった。

父はその業界の人間だったが、高いところから世の中を見下すような気風に、自分は抵抗があった。

かといって、ほか に文章を作る仕事は小説家ぐらいしか思い浮かばなかった。

母から「コピーライターってのがあるらしいよ」と聞いた。

私はその職業を知らな かったが、とにかく大学の就職部へ行ってみた。

もう訪れる学生は少なく閑散としていた。銀座の小さな広告代理店が、まだコピーライターを募集していたので、就職部のおじさんのところへ行ってみた。

すると「いや、こんな代理店より断然いい会社があるよ」と医療器メーカーを勧められた。

メーカーはイメージの中になかったのだが、おじさんは、「とにかく熱心なんだよ。

たったひとり取るのに、専務さん(当時、社長はまだ専務だった)が来て説明するんだから。そんな会社ないよ」と前置きし、その内容を解説した。

「いま作っている使い捨ての医療器具は、世の中から支持されないと売れないものらしい。

だから広告に力を入れているんだけど、広告をやっても理詰めのところがちゃんとしてないと医者が認めない。

だから自分の会社でもコピーライターを育てたいんだそうだ」

そんな記憶が心に刺さった。

「社長には、見放されたんだろうな」と思った。

誘ってくれるアルバイト先があることも頭をかすめた。

しかし、今は会社を辞めたく なかった。いずれ他の会社に移ることも考えてはいるが、負けて辞めるのは、どうしても嫌だった。

翌週から営業用の大きなカバンを借りて、私の病院回りが始まった。

 

2016.8.19


クリエイティブということ ⑫ひと筋の光明

院長室を足早に退出して待合室を横切り、トイレに入ると個室に飛び込んだ。両目からあふれ出るものがあった。

息を殺して、気分が収まるのを待った。 院長から投げつけられた言葉が原因ではない。

ディスポーザブルの利点を、院長の納得が得られるように説明できない自分の愚かしさが無性に口惜しかった。

 医療器会社に入って2年目の新卒コピーライターが、初めて単身での外回り。

開業医を訪問しては院長に会い、無菌で1回使用のディスポーザブル注射器を紹介するのだが、まだ全く普及していない時代のこと、ほとんど肯定的な反応はなかった。

セールストークの常識も教わらないぶっつけ本番。

当然、うまくいかないこ とばかりだ。

この日は院長が、「きちんと煮沸消毒すれば、ガラスの注射器をくり返し使っても感染は起こりえない」と言ったので、意を決して 反論した。

病原菌のなかには、防御機能の高い「芽胞(がほう)」という形に変身する能力を持つものがある。芽胞は100℃の熱湯で煮立てられても死滅せず、再び快適な環境になれば発芽して元の病原菌に戻る。

「ですから煮沸消毒は不完全で、注射の感染を完全に防ぐことはできないんです」と言ってしまったら、院長の逆鱗に触れ、問答無用の罵声を浴びせられたのだ。

 やっと気分が収まり、耳を澄ませてトイレに人の出入りがないことを確認して手洗い場に行くと、なんと院長が鏡を見ながら櫛で髪をとかしている。

「まずい!」と思ったが、鏡越しに目が合ってしまった。

院長と別れてから20分は経っている。しかも、あきらかに自分の両目は赤い。

すべては明白だ。

「先ほどは失礼しました」と頭を下げると、院長は櫛を紙タオルで拭いながら「まあ、がんばりなさいよ」と言ってドアに手を掛け、「間違ったこと言ってるわけじゃないんだから」という言葉を残して出ていった。

そのとき、ひと筋の光明が差したのを感じた。

 

2016.8.24


クリエイティブということ ⑬四国からの波

営業カバンをぶら下げての開業医まわり。

2週目ぐらいになると慣れてきて、院長を怒らせることもなくなってきた。

 「煮沸消毒は危険だ」と言って院長を激怒させてしまったときも、実は注射器を再使用する危険性について、院長はある程度の認識を持っていたようだ。

しかし自分が日常的に行っている診療行為について「危険」と認めることなど、できないのは当然だろう。

注射事故は、ときおり新聞記事にもなっていた。

また日本医師会からも、医療事故の3分の1は注射によるもので、その2割が細菌感染だと発表されていた(*)。

無菌で1回使用のディスポーザブル注射器をメーカーの立場で紹介するとき、まだほとんど普及していない現状を踏まえ、「どうしたら使っていただけるようになるのでしょう」と相談すると、意外に好意的な反応をする医師が多いこともわかってきた。

社長がこだわる「医療の安全のためのディスポーザブル」をコンセプトにした企業広告は、続けていてもあまり効果がないように感じていたのだが、実は人の心の中にしみこんで、ボディブローのように力を発揮し、「もうひと押し」というところまで来ているのかもしれない。

やがてその「ひと押し」は、四国のとある町に変化を起こし、さらに大きな変革の波となって、全国へと広がって行く。

* 日本医師会編:国民医療年鑑 昭和47年版,285

 

2016.8.29


クリエイティブということ ⑭創造的な営業

四国のある町が、すべての町立小中学校で行われる日本脳炎の予防接種を、全面的に1回使用のディスポーザブル注射器で実施することを決めた。

これは営業マンたちの努力の成果だった。

当 時は学校で集団予防接種をするのが普通だった。

しかし校医の多くは開業医であるため、一人で全校生徒に注射をしなければならない。

しかもガラス注射器を洗って煮沸消毒する手間もあるので、看護師を入れても途方に暮れるほど膨大な作業量がある。

また消毒が不完全になる心配もある。そこで医師の負担を軽くするため、1本の注射器を3人、4人の生徒たちに使い回しすることが黙認されていた。

必要な注射器の本数も、消毒の手間も3分の1、4分の1になるからだ。

しかし、これでは感染が心配だ。

予防接種の感染事故への関心が高くなると、事故の責任は地方自治体が取るべきだという世論が全国的に高まってきた。

そこで四国の営業部隊は、売り込みのターゲットを医師ではなく自治体に絞り、感染の心配をしなくていいディスポーザブル注射器を売り込んだのだ。

その結果、 実際に予防接種に従事する校医たちは、洗浄や消毒の手間がいらず、ひとりに1本ずつ新品の注射器を使う快適さを存分に味わうことになったのだ。

やがて医師たちは、自分の診療所でもディスポーザブルを使いはじめ、それを自慢するようになっていった。

すると地域の基幹病院も動き出した。地域医療を指導する立場の大病院が、医療の安全で開業医に遅れを取るわけにはいかないのだ。

広告チームの仕事も明確になった。

四国の町の例を医師向けの広告に取り上げる一方、一般向けの雑誌では、予防接種のディスポーザブル化が進んでいることを紹介。

自治体にはダイレクトメールを送り、全国の営業が売り込みに走った。

広告もDMも相当な効果を挙げたが、この一連の流れを作ったのは営業部隊だ。

彼らの創造性ある営業手法は、まさにクリエイティブだと思った。

 

2016.9.1


クリエイティブということ ⑮ビリヤードのあとで

全国の市町村で予防接種に大きな動きが出てきたのを契機に、注射器のディスポーザブル化は進み始めた。ひとりに1本の注射器を1回だけ使う清潔さを訴求する広告も、予防接種という具体例を思い浮かべることで、実感を持てるメッセージとなった。

しかしこの広告の方向は、ずっと前から実施しているものと基本的には同じだ。

「市場の状況が変化した以上、広告の内容も変わっていいのではないか」という考 えが頭をもたげてきた。

だが、この広告の方向は、ずっと社長がこだわってきた路線だ。

以前、目先を変えようとして、社長からこっぴどく叱責されたことも記憶に新しい。

ちょっとやそっとで変えることはできない。

 

とある土曜日、会社がある私鉄駅の三つとなりの駅近くで、技術部のT課長とビリヤードをした。

学生時代は柔道で東京オリンピック中量級代表の座を争ったほどの人で、課長に勝った岡野功は、オリンピックで金メダルを手にしていた。

T課長はまじめで、遊びごとにふけるようなタイプではないと思っていた。

それが、なぜかビリヤードには魅力を感じたらしく「教えてくれよ」と頼まれ、ときおり半日勤務の土曜日や日曜日に相手をしていたのだ。

私が大学1年のとき、学生運動によるストライキで授業が半年もなかったことがある。それをいいことに覚えてしまったビリヤード中心の生活を、怠惰にも結局は4年間続けてしまい、おかげでそれなりの技量は身に付いていた。

 ビリヤードの後は、決まってスタンドバーでご馳走になる。

これが授業料というわけだ。

その日は、思い切って広告の方向について相談してみた。

「じゃあ、どういう風に変えるんだよ」

「品質管理をテーマにしようと思うんです。普及してきたディスポの安全性が確かなものだという…」

「いいと思うよ、それだったら。おやっさん(社長)も文句は言わないよ」

「じゃ、細菌学のA課長に品質管理の具体的なところを聞いてみます」

「うーん、それはそれとして、実際に工場を見てこいよ。メーカーの心臓は工場だから」

だんだん具体的なイメージが湧いてきた。

 

2016.9.6


クリエイティブということ ⑯ウサギの体温

静岡県の工場への取材は、腰を据えてやることにした。

しかし金は掛けられないので旅館は使わず、工場の総務にいる同期に頼み、独身寮の空き部屋へ潜り込んだ。

入社時の新人合宿でも工場内は見ていたが、そのときは問題意識もなく漠然と回っただけだったので、今回はじっくり取材するつもりだ。

 とりあえず初日は、3つある工場をグルグル回ってみたが、やはりこれでは意味がない。

しっかりと品質管理とは何かをつかむのが目的だ。

まずは工場内でカメラ 機材を置いたり、何か書いたりするのに落ち着ける場所を確保したい。

そう言ったら、総務の一角にテーブルを用意してくれたが、管理部門というのは本社も工場も同じ雰囲気なので、それでは出張してきた甲斐がない。

そこで翌日は、試験課の課長にお願いして、品質管理の細かな手順 に沿う形で工場を案内してもらった。

そして、図々しくも試験課の一角に落ち着くことに成功してしまった。

白衣を着た課長と女子社員、それにガラスの向こうに白いウサギが横1列に並んでいるだけのコンパクトな部屋だ。

ここは品質管理の中枢なので、居れば何かをつかめるかもしれない。

そう思って 何気なくウサギに近づくと、「ああ、あまり近づかないで!」とダメを出される。

発熱性物質試験というのをやっているので、ウサギが興奮して暴れると体温が上がり、オジャンになってしまうそうだ。

課長は静かな雰囲気だが、大きな目でにらまれると少し怖い。

でもせっかくだから、ウサギの体温をとっかかりに取材 してみよう。

 

2016.9.9


クリエイティブということ ⑰滅菌無用論

静岡県の工場への取材は、品質管理の細かな手順に沿う形で工程を見学できたこともあり、企業広告の材料は充分に集まった。

あとは、個々の品質管理手 順を串刺しにする精神性とは何かを突き止める必要がある。

発熱性物質試験中のウサギに近づいて怒られたのを機に、試験課長に質問してみた。

「滅菌は大きなタンクでやっていて、タンク1回ごとに滅菌を保証する無菌試験が大切なのはよく分かるんですが、工程中の発熱性物質試験はそんなに大事なんですか」

「ん、何か文句でも?」

「い えいえ、でもゴム素材の発熱性なんかは受け入れ検査があるわけだし、あとは細菌の死骸とか老廃物が発熱性物質になるというお話しでしたけど、これだけ清潔 な工程で、そんな事故って起こり得るんですかね。煮沸消毒で注射器を再使用している診療所でも、そこまで発熱が多いという話は聞かないんですけど」

少し間をおいて、課長はこう言った。

「本当は、滅菌に頼ることが間違いなんですよ」

「・・・?」

「だって注射器は、高熱で融かしたプラスチックを成型して作るでしょ?それって、完全無菌だよね。だったらそれを完全無菌の工程で組み立てて包装までもっていけば、滅菌する必要はなくなるよね」

「あ、それ理想ですよね!でも可能なんですか、それって?」

「いますぐは無理だけど、不可能とは言いきれないよ。工程中の部材の生菌数を調べているんだけど、どの工程が汚染されやすいか分かるし、その工程を改善することで、実際に滅菌前生菌数は減ってきているからね」

なにか、大きなヒントが目の前に現れたようだ。

 

2016.9.14


クリエイティブということ ⑱企画書の行方

企業広告の新たな展開を考えるための工場取材は、結局4日間で終わった。本社に帰ると早速、雑誌広告を想定して企画に取りかかった。

デザイン室は1年ちょっと前に、どこの部にも所属しない「デザイン課」に改められ、主任だった上司のデザイナーは課長に昇進していた。そして雑誌広告は、予防接種のテーマを扱うようになって以降は、自分がコピーを書き、プロダクションにデザインを作ってもらう形に変わっていた。

 1日で作り上げた企画書を課長に見せた。

「ディスポーザブル医療器は、安全を突き詰めて考える人間が作っている」というテーマで、清浄度の高い工程や、何重 にも安全を追求した品質管理について訴求する、全6回のシリーズ広告。

もちろん工場で教わった、滅菌前の菌数を最小にする努力についても盛り込んだ。

「少し検討させてくれないか」と言って、課長は企画書をデスクの隅にある書類の束の上に置いた。

だが夕方になって気付くと、企画書は消えていた。

 

週が明けても課長からの指示はない。

そこで「どうでしょうか」と聞いてみた。

「あ、あれは専門誌だけにしよう。医療関係者ならディスポをよく理解しているから、品質管理のテーマでもいいんじゃないか」

「じゃ、一般向けの雑誌は?」

「一般の人には、まだディスポを啓蒙していく段階なんで、基本は変えたくないね」

「市場では、もうディスポ化の流れはできているじゃないですか。でも新聞なんかみても、ディスポを単なる使い捨てみたいに書いているわけで、動きだした今だからこそ、一般向けに品質面を訴求する必要があると思うんです。他社も安いのをどんどん増産してるでしょうし」

「営業にも話したけど、まだディスポ化の啓蒙は続けてほしいということだったよ」

企画書は営業でも検討されたということか。

  

2016.9.20


クリエイティブということ ⑲社長の写真

一般向け雑誌広告の新たな展開を提案した企画書は、課長が営業部門に持ち込み、話し合いの結果、見送ることに決まったらしい。

ディスポーザブルの意義を説く広告は、社長の方針と合致する既定路線だ。

それを続けるのは無難だし、変えることを提案するのは冒険になる。だが自分としては切り替えどきだと考 えていた。

短期の売上げ目標達成を考える営業と歩調を合わせすぎ、長期ビジョンを見失って社長の叱責を受けた過去を忘れてはいけないとも思った。

しかし、そんなことばかり考えてもしょうがない。

専門誌向けに品質管理をテーマとした広告を作った。ディスポーザブルは滅菌も大切だが、清浄度の高い工程で、滅菌前の菌数を少なくするために努力することこそが肝心だという内容だ。

やがて掲載されたその広告を見るにつけ、やはり一般向けの雑誌でもやりたかったという無念さがつのってくるのだった。

「これが限界なら、辞める手もあるかな」久しぶりに、そんな気分になってきた。

秘書室から課長に、「社長の写真を撮ってほしい」と電話が掛かってきた。

経済団体の会誌に載せるのだそうだ。そういう場合、写真は私が撮ることになっていた。

その1年前、急な海外出張ということで、社長のパスポート用の写真を撮らされた。

それが、たまたま良く写っていたので気に入ったらしい。

そのときは追加で、同行する経理部長のパスポート用も撮ったのだが、結果は社長とは対照的だった。

6×6サイズ12枚撮りのフイルムを使うのだが、経理部長 は5枚ほど撮っても全部、銅像のように微動だにせず、全く同じ顔で写っていた。

それに対し、社長の方は1枚ごとに表情が変わってしまうので、結局12枚を使い切ってしまった。

経理部長の落ち着きようにも感心したが、「厳父」のように言われることの多い社長の、ナイーブで繊細な、若者がそうであるような精神性にも、新鮮な驚きがあった。

1年後輩の工業デザイナーに照明器具を持たせ、社長室へ向かった。

  

2016.9.26


クリエイティブということ ⑳そろそろ、いいだろう

経済団体の会誌に載せる社長の写真を撮ることになった。

「急に呼びつけて済まんな」

「広報委員をやらされることになってな、それで急に写真がいることに…」

今日の社長は機嫌がよく、饒舌だ。明るい顔で写真に納まるための準備なのか。

撮影は滞りなく進み、無事終了した。

目論み通り、明るい表情が撮れたはずだ。

照明のコードを片づけていると、社長が声をかけてきた。

「君は何年になる?」

「もう少しで5年目に入ります」

「5年か、いいとこだな」

「はっ…い?」

「いいとこだ、うんうん」

手を後ろに組んで、独りごとを言いながら向こうへ歩いたと思ったら、こちらを振りむき

「そろそろ、いいだろう」と念を押すように言う。

笑顔は消えて、真剣な表情だ。

意味はわからないが、気おされてうなずくと、それで納得したのか

「はい、ご苦労さん」と奥のデスクの方へ行ってしまった。

社長室を出てから、ライト持ちをしてくれたデザイナーに聞いてみた。

「もういいだろうって、どういうことかな?」

「もう辞めろいうこと、ちゃいます?」

「そう聞こえた?」

「いーや、うそうそ。なんやろね、わかりまへんわ」

その通りである。

 

2016.9.29


クリエイティブということ ㉑日経の企業広告

社長の「もういいだろう」発言の真意は、早くもその日の夕方に明らかとなった。

午後イチで社長室に呼ばれた課長が、2時間ぐらい後に上気した顔で戻ってきた。

 

「おい、ちょっと打合せだ」と広告グループを集める。

 

「日経新聞の全5段を使って、月1回で1年間、12本シリーズの企業広告をやる」

 

皆、一様に少し前へ乗り出した。

雑誌広告はずっと続けているが、新聞のシリーズは初めてだ。

会社としても、全国紙への本格的な出稿は初となるはずだ。

 

「で、テーマはどうするんですか」と聞いたら、

 

「それは君が考えるんだ。ビジュアル面も含めてラフを提案してくれ」

 

今まではデザイナーの課長が主導していたのだが、今回は明らかに違う。

 

社長は、品質をテーマとした広告が医学専門誌に出ているのを見て、一般新聞への応用を考えたに違いない。

そこで品質管理を軸に、ブランドの信頼度向上をねらう広告を1年間続けることにした。

もちろん工場取材の内容が、おもな材料になる。

 

そのころ会社は成長を続け、大阪の医薬品企業を中心とするグループ会社の一員としての位置づけから脱しようとしていた。

だが一方では、大阪から異動してきた重役が、古巣へ出張するのに「明日は本社へ行ってくる」と言うのを聞かされる現実もあった。

そんなときは、強烈な違和感を覚えたものだ。

しかし、もうすぐ社名から冠が消える。

その日へ向けて、『独立の父』となるべき社長を押し立てて進もうと、社員の意気は高かった。

だからこそ、現在の社名ではなく、冠を外した形のブランド名を打ち出しつつ、高品質イ メージを訴求する必要があると思った。

 

結局、この会社には20年も在籍することとなった。

 

 

 

 

社名変更の日の広告 (日本経済新聞 全5段)

 

 

 

 で、テーマの「クリエイティブということ」の結論だが、その解答が見つからないので20回以上もだらだらと連載してしまったというのが正直なところだ。

ひとつ結論らしいものを出すならば、第③回で取り上げたように、「クリエイティブは、自分が独自に作るオリジナルであるはずだ」ということになろうか。

流行に同調した浅薄なミーム(模倣の連鎖)とは対極の、

 

「こういう広告は、あの人にしかできないよね」と言われるような。

 

わが身を顧みれば、なお「日暮れて道遠し」ではあるが。

 

(おわり)

 

2016.10.4