考えてみると、22歳で「コピーライター募集」に応募して新卒のコピーライターになり、それ以来「ン十年」、一度も他の職業に就いたことがない。
最 初は「文章を書くことなら、できるだろう」程度の認識だった。
それでも何とか世間を渡っていけているのは、最初に就職してコピーライターになったのが、小 さなメーカーだったからかもしれない。
メーカーには、研究も、開発も、生産も、物流も、国内と海外の販売も、企画も、広告宣伝もある。
もちろん、総務や人 事、経理などの管理部門も。
ある意味、世の中の多くの職種のテーマパークだ。
当時はオフィスもコンパクトだったし、他部門の仲間と呑むことも多かったの で、どこの部門がどんな問題を抱えているか、何をやろうとしているのか、大体はわかった。
しかし当時は、そんなことが広告作りに役立つなど とは全く思ってもいなかった。
新宿駅から私鉄で二駅はずれた本社は、「東京の中心」という感じはなく、久保宣(いまの宣伝会議)コピーライター養成講座の 同期が、銀座や築地あたりの広告代理店を闊歩していると思うと、焦りも感じた。
そこで広告理論の本を読み漁った。テッドベーツ社ロッサー・リーブス会長の USP (Unique Selling Proposition)理論。「歯磨きは歯を白くするもの」という時代に「ピンクの歯磨きでピンクの歯茎」で大ヒットを飛ばした話。
ドイル・デーン・ バーンバック(DDB)社ビル・バーンバック氏の「コンセプト・アド」。
当時、広告理論はアメリカからの直輸入であったが、大きな影響を受けた。
「こうい う広告をクリエイティブというのか」と、その切れ味には感服したものだ。
2016.7.5
アメリカから入ってくる広告理論の本を片っ端から読み、アメリカの広告作品を数多く目にしていると、自分が就職したメーカーの広告にもいろいろなイ メージが湧き、一刻も早く自分の手で広告を作りたくなってきた。
この会社は、1年ほど前から週刊誌や月刊誌の広告をするようになっていたのだ。
しかしその 原稿を作るのは、外部のプロダクションや広告代理店の制作チームだった。
まあどこの会社でも、新入社員にいきなりメインの広告をやらせるはずはないわけだ が、それでも出来てくる作品を見ていると、自分の方がアメリカみたいにクリエイティブな広告を作れるような気がして、歯がゆい思いが募った。
実 際の自分の仕事は、時おり入ってくる地方誌の小さい広告くらいだった。
それでも同期入社のデザイナーと議論しながら、徹夜でA5のモノクロ1ページ広告を 作った。
作業効率は最低だが、中身はアメリカ直輸入のコンセプト・アドだ。
それを企画課長のところへ持っていく。私が所属する広告チームは、企画課の中の デザイン室なのだ。
課長の感想は「言葉が素直じゃないね、もう少しすっと入ってくる表現にならないか」というものだった。
そこで一生懸命コンセプト・アド の説明をするのだが、「そんなこと言ったって、読み手には伝わらないよ」と相手にされない。
私がコピーライターで入社する前は、この人がコピーを書いてい たのだ。
課長は30歳で東大の文学部出身。学生時代には文学賞も受けている。
実は私も課長の文章力には一目置いていた。
まわりの反応もみんな課長持ちで、 徹夜で作ったコピーは10分ほどで玉砕してしまった。
広告の仕事はめったになく、広告理論の本や、代理店から届けられる週刊誌を読む以外、 暇のつぶしようもない状態だった。
時間を持て余していると、上司のデザイナーから、「仕事がないときは、外へ出てこい」と言われた。
仕方なく外へ出て近所 を歩いていると、小学校でドッチボールをしている。
それをぼんやり眺めていると、「俺は何をしているのだろう。こんな会社、辞めた方がいいのかもしれな い」という気持ちが湧いてくる。
会社へ戻ると、上司から「どこへ行った?」と聞かれる。
小学校のドッチボールを見ていましたと報告すると、「馬鹿だな、そ ういうときは映画の一本も観てくるんだよ」と言われた。
2016.7.9
アメリカ式のコンセプト・アドを課長から否定されても、なぜか妙に納得している自分に気がついた。
そのころ、日本でもコンセプト・アドはかなり出て きており、露骨にアメリカの広告を模倣したものも珍しくはなかった。
当時は空前の好景気で、手っ取り早く流行に乗る風潮があった。
モダニズム(*)のまん 延だ。
そんな広告を見ていると「クリエイティブってなんだろう」という疑問が湧いてきたのだ。
「create」のもとの意味は、創造主であ る神が天と地、あらゆる自然、動植物、そして人間を初めて作ったことを示している。
それなら、クリエイティブは人まねではなく、自分が独自に作るオリジナ ルであるはずだ。
流行のスタイルを「クリイティブ(創造的)」と呼ぶのはおかしい。
むしろ正反対ではないか。
本当に独自の道を行く、クリエイティブなコピーライターはいるのだろうか。
広告の年鑑やら雑誌やらをひっくり返してみた。
すると一つの広告が目を引いた。
* モダニズム:現代主義、新しがり。最近のマーケティングでは、模倣=mimemeと遺伝子=geneの造語である「ミーム:meme」という言葉を使うよ うです。(Kirby J.: クリエイティブはあなどれない, Diamond Harvard Business Review, July 2013)
2016.7.12
「ビールつくり三代」
独自の道を行く、クリエイティブなコピー。
それはあまりにも有名な故・梶祐輔氏が書いた広告だ。
おじいさん、お とうさん、そして3代目のビール職人。
3人が並んで歩いている。
おじいさんは和服だが、あとの2人は作業衣なので現役とわかる。
通算90年ビールを作り続 けてきた一家には2歳の男の子がいて、その子がビール職人になるのを楽しみにしているという。
ビールの品質がいいとも、技術力が高いとも、味が他の追随を許さないとも言っていない。
だが、ほんわかとした全体の雰囲気は好もしい。
文章を飾らず、文学を気取らず、言葉遊びに堕せず、ただ記事として真っすぐに。その品の良さが、広告に格式を与えている。
この広告が名作として紹介されているのを見たことは何回もあった。
しかし広告理論に振り回されている未熟な私が興味を持つことはなかった。
梶さんはコピーライター草創期の人なので、敬意を表して「名作」ということにしているのだろう、などと失礼なことを考えていた。
だ が、この広告は間違いなくクリエイティブ(創造的)だ。
しっかりした取材に基づいて方向性を出した広告に違いない。
だから何かの真似をしたようには感じら れない。
私は学生時代、ときおり業界新聞の記事を書いていた。
取材に行くと思いがけないことがあり、それが記事の中心になることもあった。
取材という手法 は同じでも、相手の反応で結果は千差万別。
創造的な広告作りには、有効な方法かもしれない。
やり方次第では本物のクリエイティブにつながるのではないか。
2016.7.15
上司である主任のデザイナーから呑みに誘われた。
私が入社した直後、「仕事が暇だったら映画を観てこい」と言った人だ。
「どうだ、この頃は」
「いま南ア向けの広告をやってますけど、でもほぼ暇ですかね」
「うちの雑誌の企業広告、どう思う?」
「見た目はいいんですけど、内容的には突込みが足りないんじゃないですか」
「そうか…」
主任は反論せず、少し考えてから、驚くべき提案をしてきた。
「アルバイトでもしてみるか」
「・・・・・・・!?」
「企業広告は、いまは外にやらせているわけだが、いずれ君も試されることになる。だけどな、そのとき君が十分な経験値を持っているかどうかだよ」
「視野をひろげなきゃってことは感じています。けど、いいんですかね、会社‥」
「禁止だよ、あたりまえだろ。まあ禁止だからやらないってんなら、別にいいんだけど」
「・・・いえいえ、よろしくお願いします」
ヒマ地獄を脱出し、経験したことのない舞台で活躍できると思うと、心が弾んだ。その夜は、なかなか寝つかれなかった。
2016.7.21
昨日、「朝日広告賞」が発表されていた。
少し前に知らせを受けたのに確認しそこなっていたのだが、「くらし部門 準部門賞」を受賞していた。
大きな 広告代理店さんの制作チームにコピーライターとして加わった仕事だ。
このところ2013年にも、別の代理店さんの制作チームと「日経広告賞 生産財・産業 部門優秀賞」と「日経BP広告賞 優秀医療広告賞」を受賞しており、なぜか受賞づいている。
賞は3つとも弊社事務所から歩いていけるクライアントさんのお 仕事なので、きっとその場所がパワースポットなのだ。
今回の賞をいただいた広告コピーを作るのに、本社だけでなく、研究所 や工場にもおうかがいし、技術者など十数人の社員の方がたに取材させていただいた。
糖尿病の子どもたちが痛がらない注射針を作るために、これほど多くの技 術者が知恵を絞り、これほど多くの投資をして製造工程を作り直したのか、と私が感じたままの驚きを、読者と共感したいという気持ちが一番だった。
「広告 は、広告主のレベルを超えられない」と聞いたことがあるが、私は恵まれていると思う。多謝。
2017.7.21
主任のデザイナーにアルバイトを勧められ、連れていかれたのは、四谷駅近くのビルにある広告プロダクションだった。
下から見ても、その会社があるフロアの窓は夜空に煌々と光を放っている。何人か現場の人を紹介してから、主任はすぐ帰った。
すると、クリエイティブディレクターが大きなファイルを持って近づいてくる。
そのころ流行しはじめたサファリジャケットが短髪に似合って精悍だ。
「さっそく頼んじゃっていいのかしら」意外にも、言葉はやさしい。
大手の写真フイルムメーカーが、初めてオーディオカセットテープ市場に参入するので、そのキャンペーンの仕事だという。
会社の大きさもそうだが、キャンペーンの規模もすごい。
「こんなに簡単に、こういう世界に入れるのか」
今までとは違う、異次元の星に迷い込んだような気持ちだった。
仕 事は販売促進用の資材づくりがメインだった。巨大企業の仕事なので最初は構えたが、ものづくりの会社というのは、何となく共通点があって意外なほど理解で きたし、気持ち的にもしっくりきた。
それにオーディオは好きだったので、知らない世界でもなかった。
最初は感じていた会社への後ろめたさも、いつのまにか 消えていた。
2016.7.26
広告プロダクションのアルバイトを始めて1週間ほどしたころ、職場で2年先輩のデザイナーから声を掛けられた。
美大の同級生3人で独立し、デザイン事務所を設立するそうで、3カ月後には退職することになっている。
「バイトしてるんだって?」
「え…ええ」
「うちは全員デザインなんだけど、パンフレットとかも入ってきちゃってさ。
コピーライターはいないから、基本は君に頼みたいんだよね。
で、ちょっと考えてほしいんだけど」と、すかさずスケッチを渡してくる。
そして、「まあ2年もやったら、独立しちゃえばいいじゃない」と耳打ちする。
その後も口コミでバイト先は増え、輸入車ディーラー、スタミナドリンク、会員制リゾートクラブ、ステレオコンポーネント、印刷機メーカーなど、雑多な仕事が入ってきた。
当時は景気も良く、後になってから聞くと、広告制作者であれば誰でもバイト先はあったそうだ。
しかしそれを知らない私は、収入が増えたこともあって、自分は売れっ子になったのだと、すっかり舞い上がっていた。
だがこのアルバイトが、試練の序章となることに気づいてはいなかった。
2016.7.29
私が勤務していたメーカーは、医療器具が専門だ。
昔から製造している体温計がドル箱で、そこで稼いだ利益を新しいディスポーザブル(1回使用)注射 器の開発につぎ込んでいた。
しかし問題がある。
輸出はそこそこなのだが、国内での普及が遅々として進まず、ほとんどの病医院は昔ながらのガラス注射器を洗 浄・消毒し、くり返し使っていたのだ。
雑誌の企業広告では、ディスポーザブルの注射器がいかに清潔であるかを啓蒙し続けているのだが、医師 たちの反応は鈍く、「アメリカは使い捨て文化だけど、日本の医者には受け入れられないよ」「保険で負担してくれないんじゃ使えない」などと、つれない言葉 が返ってくるばかりだ。
とくに注射針に較べ、価格の高い注射筒はほとんど動いていなかった。
入社2年目のことだ。
目標が達 成できず困った営業の課長が、なんとか注射筒の販売促進に役立つ広告を医師向けに打てないかと、私の上司である主任のデザイナーに相談してきた。
いままで 営業から頼りにされることもなく、暇を持て余していたコピーライターとしては、実力を見せるチャンスだ。
いまの自分には、アルバイトでいろいろな広告や販 促資材を制作した経験もスキルも付いている。
2016.8.3
目標達成ができず困った営業が、注射器の販売を促進するような広告を医師向けに打てないかと相談してきた。
コピーライターとしては、実力を見せるチャンスだ。
本 来、無菌のディスポーザブル注射器は、感染を防ぐなど、医療の安全を確保するため、日常の診療に使うべきものだ。
しかし普及が進まない現状をみると、そん なことを主張しても響きそうにない気がした。
そこで医師に魅力を感じさせるような使い道を営業に取材して回った。
医師のホンネにアピールするため、取材を もとに売れる広告を作る算段だ。
すぐ持ち運べるので往診用に便利。使用後に血液の付いた注射筒を洗わなくていいので採血用 に。
血液中の鉄分量を調べる検査は注射器を洗った水道水の影響を受けるので検査用に。
油性の注射液は洗いにくいのでホルモン注射用に‥。
ディスポーザブル の便利な使い道を提示して、「いろいろな場面で役に立つディスポーザブル」というコンセプトにまとめる。
アルバイトを始めてから、仕事の手際は格段に良く なっている。
自信満々で一気に企画書を作った。
しかしこの企画には、決定的なミスがあったのだ。
2016.8.8
「こんなこと考えているんだったら、今すぐ、やめてしまえ!」
企画書をひと目見たとたん、社長の怒声が鳴り響き、空気は凍りついた。
売れゆきが悪いディスポーザブル注射器を売るため、往診用、採血用、ホルモン注射用など、現場メリットの大きい使い道を医師に提案する広告案をプレゼンしたときのことだ。
「君 たちの役割りは、安全な医療のために、無菌のディスポーザブル医療器を使うという考えを世の中に根付かせることじゃないのか。あれが便利、これが便利と いって、とりあえず1000本でも2000本でも売れればいいと考えているんだったら、君たちは必要ない。明日からカバンを抱えて病院を回れ。そのほう が、よっぽど売れるぞ」
返す言葉もなかった。
目先の売上げのために、「医療の安全」という基本をわきへ追いやったことは事実だ。
体 温計で得た利益を削り、売れてもいないディスポーザブルに大金を投じている責任者として、営業よりも誰よりも、本当は社長がいちばん売りたいに違いない。 しかし、「日常診療の安全を守る無菌のディスポーザブル医療器」という大きなコンセプトは絶対に曲げない。
どんなに苦しくても小細工せず、王道を貫くとい う社長の覚悟には、うなずくしかなかった。
大きなコンセプトがまだ浸透していない当時の段階で、私の広告案のように特殊な用途ばかりを医師に提案していたら、普通の病医院ですべての注射にディスポーザブルを使うのが当たり前という今日の状況は、かえって遠のいていたのかもしれない。
私はこの会社の社員なのに、まるでアルバイトをこなすように、小器用に場当たり的なコンセプトを提案した。
本当の「コンセプト」とは、コピーライターが広告を作る都合でひねり出すようなものではないのだろう。
大きくもないメーカーが、なぜ自前のコピーライターを採用したのか。
それに気付いたのは、その期待を裏切ったときだったのだ。
2016.8.16